<第十話>決断!Newerからの独立

このままでは誰のプラスにもならない

 私は新しいディレクターの下で働くこと数ヶ月。彼のもとでは自分の力が発揮できない。自分のキャリアにプラスにならない。このままではいけないという焦りがあった。

 時はおよそ1年前に遡り、Newerは新しい販売方法をもとめて試行錯誤をしていた。その1つがNewer製品のオンラインショップでのエンドユーザー向けの直販だったのである。ただ、それを行うには既存の販売店からの反対が予想され、押し切って開始した場合に成功するという保証はなく、リスクを犯してまで行う販売方法なのか永らく議論されていたのである。そこで、ジェフ・ヘデレスキーはリスクを犯さずにNewerのオンラインショップを始める方法を考え出したのだ。Newerに関係ない人間にNewerのオンラインショップをやらせることである。ある種のアンテナショップと言ってもよい。そのためマックとNewerの熱狂的なユーザーであるデーブ・マーニングという青年にNewer製品を専門に扱うオンラインショップを始めるように焚きつけたのである。そして彼はアップグレード・スタッフというオンラインショップをすぐに開店したのである。それから1年、アップグレード・スタッフは成功を収め年商100万ドル(約1億円)を越えるショップになったのであった。

 その当時私は日本の販売担当をしながら、販売店経由でのアップグレードカードの販売に限界があるのを感じていたのである。販売店経由では店頭に製品が並ぶまでに時間がかかり、出荷後すぐに製品を販売できないこと、在庫を一元管理出来ずに売れ残った製品の補填額がばかにならないこと、Newer製品に対する知識が販売店毎にまちまちでお客様からの問い合わせにがうまく対応できないことなどであった。なので理想は在庫管理、価格改訂、サポートを全てNewerが行うことがであった。そして、米国で成功したアップグレード・スタッフを見て、日本向けのオンラインショップを運営すべきだと考えたのである。しかしNewerが日本のオンラインショップを運営するには無理があったので、私自身が社員でいながらそのオンラインショップを運営することを提案したのだ。これなら、Newerの利益が上がり、かつ私はNewerとの関係を保ちながら、嫌いな上司から離れることができると考えたためである。

Newerから日本のユーザーに直販はできないか?

 こういう突飛なアイデアを、Newerは面白がる雰囲気があった。特に販売部門の副社長であり、もと私の上司のジェフ・ヘデレスキー氏は寛容な人であり、採算がとれるような提案であればすぐに受け入れられるものと私は思っていたのである。しかしこの提案はあっさりと却下されてしまったのである。

 メーカーが内緒でメーカー直営のお店を作り、製品を販売してもらっている販売店と競争をして失敗したメーカーがたくさんあるというのが却下の理由であった。裏でメーカーが販売店を運営する場合、価格や出荷時期や出荷数量など優遇するため裏でのつながりがばれやすく、実際それがばれて販売店から総すかんを食らってそのメーカーの製品を販売をしてもらえなくなるケースがほとんどなのだそうだ。彼はNewerが日本の販売店から閉め出されるのを嫌がったわけである。

 この提案があっさりと却下されて私はがっかりしたのであるが、彼は最後にこう付け加えた。”でも、もし君がNewerと関係のないお店でNewerの製品を取り扱うのであれば、全面的にバックアップしてあげるよ”とのこと。そして、彼は私が自分でいきなりお店を持つのは資金的に大変だし、販売のノウハウもないのだから、まずアップグレード・スタッフで仕事をしてみたらいいのではないかと提案してきたのだ。そして後日、彼は私に面識のなかったアップグレード・スタッフ社長のデーブ・マーニングに引き合わせてくれたのである。

個人でやるのは自由

 私は彼との最初のミーティングで彼の会社の運営ポリシーを大変気に入ったのである。デーブ・マーニングはユーザー上がりであるため、製品知識は豊富で、かつサポートには大変力を入れていた。また個人的にも年齢が私とほぼ同じで仕事熱心、格好はいつもジーンズにワークシャツというラフなもので全く気取っていなかった。ユーザーグループの親玉のようで、親しみがあったのである。 そして数日後、彼のもとでにアップグレード・スタッフジャパンを立ち上げることを決め、私はNewerを去る決断を下したのである。

 その後、私はアップグレード・スタッフジャパンを起上げ、Newer製品を大量とは言えないまでもそれなりに日本のエンドユーザーに直接販売することが出来、まずまずの成功を収め、外部からNewerに貢献をしたという自負がある。しかし当のNewerは私が辞めた時期から下降線をたどっていった。その理由は前に述べたPowerBook 2400,1400用のアップグレードカードの失敗、そして新製品の7100/8100用のアップグレードカードの製造不良、それにともなう財政難。バックオーダーは山ほど抱えていたものの結局それを製造できずにお客様に届けることが出来なかったのである。

Newerでついにリストラ、社長も更迭

 その後Newerでは数人の筆頭株主による再生計画が発表され経営の大幅なリストラが敢行された。創始者である社長ジェームス・ウィービーも責任をとって更迭となった。私のもとの上司、ジェフ・ヘデレスキーもジム・ダナタリーも解雇になった。副社長達も株主が送り込んだ人ばかりになり、ビジネスに対して実力はあってもマックを知らない人達によってNewerは運営されることになっていった。名前はNewerであったが心はすでに別の会社になっていた。そして再生計画は失敗に終わりNewerは1年ももたずに倒産となったのである。
 
 Newerの管理者が入れ替わったころから、私はNewerに対する忠義はなくなった。技術部門を除いてすでに知っている人はほとんどいなかった。そのため、私はNewerの専門店であるアップグレード・スタッフから独立し、パワスタを開店、そしてマックメムの開店に至る。ちなみにアップグレード・スタッフはNewer専門店をうたっていため、Newerの衰退が経営を直撃し、結局店を閉じることになった。
 
 次回は日本国内でNewerの一番のライバルだったインターウエア社とNewerとの関係について書いてみる。

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