<第十二話>競合!買収しても良いですか?

ライバル同士、切磋琢磨

 1997年のボストンでの打ち合わせは不調に終わったが、その後インターウエア社とNewerはライバル会社として新製品の開発でしのぎを削ることになる。 1998年のマックワールドエクスポ・サンフランシスコでNewerはPowerMac 6100/7100/8100用のG3カードを出品し、これらはマックユーザーを歓喜させた。6100/7100/8100は大量に市場にあったため、その反響は大変なものだった。

 これまでCPUアップグレードカードはCPUカードを取り替える方法しかないとされていた。そのためその恩恵に授かれるのはCPUカードが取り外せるPowerMac 7500/8500/9500など、俗にPCIマックと呼ばれるマシンの持ち主に限られていた。しかしNewerはCPUカードを外さなくてもアップグレードカードを使用することが出来る方法を世界で初めて開発したのである。それはPDSと呼ばれるスロットにアップグレードカードを装着するという方法で、これまでのアップグレードカードの概念を吹き飛ばす画期的な発明であった。この製品はこのサンフランシスコのマックワールドでベストオブショーを獲得したのである。

インターウエア社は5400/6400用カードを開発

 一方インターウエア社は1998年の中頃に5400/6400用のマシン向けにL2スロットに装着するタイプのアップグレードカードの開発に成功する。インターウエア社もNewerも技術面において同じような発想で新製品をヒットさせていった。

 パワーブック用のカードの開発はさらに激戦であった。NewerがPowerBook 2400用のCPUカードを世界で初めてリリースし、インターウエア社がPowerBook 1400用のCPUカードを世界で初めて発売した。そしてNewerが後日1400用のCPUカードをリリースし、インターウエア社が2400のカードをリリースするという、他社には真似のできない開発競争を繰り広げたのである。

インターウエア社はさらに規模が拡大

 1998年当時のマック界におけるインターウエア社の役割は大きく、会社自身の規模もかなり大きくなっていたと想像する。1998年2月に東京で開かれたマックワールドでは、インターウエア社は10m四方はあろうかという、大手家電メーカー並の大きなブースをどーんと出していたのである。まさに日本のマック界をリードするアップグレードカードメーカーという貫禄が漂っていたものだ。一方Newerのブースは丸紅のブースの一部、1m x 3m程間借り出展しているような状態で、日本では知る人だけ知っているという小さな存在であった。

 私は毎年2月に開かれる東京のマックワールドと秋のワールドPCエクスポに展示とデモのために来日するようになっていた。そして私が来日するときは代理店との絶好の打ち合わせの機会であるため、社長や副社長を連れてくることがしばしばあった。大変日本的ではあるが御世話になっている代理店様や販売店様へ社長などを連れてご挨拶に伺うというのがメインの仕事である。またその隙間をぬって、マック関連雑誌を訪ねて商品説明などを行うのも大切な仕事であった。

 社長や副社長などの日本での関心事はインターウエア社の動向である。彼らは敵情視察というか、挨拶というか、相手のブースに行っていろいろと話をしたがるのである。私は競合会社のブースに乗り込んでいくというのは、はなから嫌がられそうで億劫になるのだが、社長級になると自信があるのか全然臆することなく乗り込んでいくのである。彼らはブースにいる営業マンやら部長やらを捕まえて談笑するだけではなく、結構技術的な話まで聞いてくるようであった。

インターウエア社のSさんとの交流

 私はインターウエア社の方で社長以外に直接お話をさせていただいたことがあるのは販売とマーケティングのディレクターをされていたS氏であった。このS氏はときどきインターウエア社の代表として雑誌のインタビューに登場されていたのでご存じの方も多いのではないかと思う。日本の会社員でありながらひげを生やしていたので一際目立つ存在であった。そのS氏は率先してNewerの社長と話しをしてくれたのであった。

 このS氏の言葉で今でも印象的なのは「僕はNewerをライバル会社だとは思っていないんです。兄弟会社だと思っているんです。お互いに技術があり、目の付け所が同じで、同じような製品を作って、業界をリードしていく。そういう意味でNewerが好きなんです。」というものだ。この言葉にS氏の心の大きさを知ることができた。たぶん社内ではNewerに負けるなと常にはっぱをかけられていたことと思う。それにも関わらずそのライバル会社の社長に向かってこんな優しいことを言える人そうそういない。

 ただ、このS氏の言葉はS氏だけのものであって、インターウエア社全体の声では無かったのは間違いない。なぜなら、結局Newerとインターウエア社とは協力どころかOEMをする機会さえも無かったのだから。 ところが1998年の10月のワールドPCエクスポの時に一度だけ、Newerとインターウエア社の社長と副社長だけでの会食が持たれたのである。

インターウエア社の買収話。価値は120億円?

 私は残念ながらこの会食に参加していないため、打ち合わせの詳細についてはわからないのだが、うわさによるとNewerの社長がインターウエア社を買収したいと持ちかけたようである。Newerの社長は本気であったのか冗談であったのか定かではない。しかしこれに対してインターウエア社は120億円相当を要求したと言われている。しかし120億円の価値がある会社とその会社を買収しようと考えていた両社が、この会食後2年で無くなるとは、そこにいる誰も想像していなかったことであった。

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