遠藤のモバイルガーデン:ロックの文法、島歌の文脈

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遠藤です。みなさんこんにちは。

夏の旅行は北海道?沖縄?

(2002年記) 8月に入り、暑くなってきましたね。私が住む東京では、旅行代理店に行くと夏休み向け旅行パンフレットが所狭しと積まれています。なかでも「夏の北海道」というものと「夏の沖縄」という気温で言うと両極端なパンプレットが最もたくさんの種類、置いてありました。

夏だから、涼しいところに行きたいとか、夏なんだから、きれいな海で泳ぎたいという気持ちになるという理由もあると思いますが、たぶん、長い休みが取れた時「自分の住んでいる所から最も遠い所に行きたい」という気持ちが、北海道や、沖縄に私たちの気持ちを運んでゆくのだと思います。

同じぐらいの観光地があってもでも「夏の青森」とか、「夏の鹿児島」などというパンプレットはほんのちょっとしかないのもその傍証としてあげられるでしょう。

夏の沖縄を体験

私は、何年か前、仕事で西表島に3ヶ月ほど暮らしたことがあります。ちょうど季節は夏で、まさに「夏の沖縄」を体験しました。

沖縄で最も印象的だったのは夜になると、どこからともなく流れてくる「三線(さんしん)」という三味線のもととなった楽器による演奏と、島歌でした。

常に琉球王朝や、薩摩藩に支配、抑圧された歴史を持っているというバックグラウンドと、それが信じられないほどの自然の美しさのコントラストが島歌をさらに美しくしているのだと思いました。

最近、「元ちとせ」さんという歌手が人気だそうです。彼女は奄美大島(鹿児島県)出身で、「その声は、100年に1人」といわれているそうです。

元ちとせさんの声に魅了される

最近、アルバム「ハイヌミカゼ」1) がでたので聴いてみましたが、何となくぴんと来ませんでした。100% の力を出していないというか、声が窮屈で、おさえつけられた感じがしました。

そんなある日、テレビで彼女が奄美大島の民謡大会で優勝した時に撮影されたビデオが流れていました。テレビを何気なく見ていた私は一瞬でその声に引きつけられてしまいました。

CDショップを探してみると、「故郷・美ら・思い(シマ・キヨら・ウムい)」2)という奄美大島民謡大賞を受賞した時の記念CDが売っていました。

このCDを聴いて、100年に一人の声といわれたその意味がようやくわかったと思いました。

しかし、島歌は歌詞が英語よりわかりにくかったり、島歌の歌詞の意味が重かったりして、消費するように、ファッションのように楽しむ現代の音楽シーンには相容れない音楽だと思います。

島唄とロックの文法

一般の人に聞いてもらうには自分の声や歌を一度、土着の部分、いわば「島歌の文脈」を切り離して、「ロックの文法」で音楽を翻訳しなければならなかったのだと思います。

これは日本の島歌だけではなく、ヨーロッパのケルト音楽や、フィンランド民謡なども、世界的に受け入れられるためには「エンヤ」や「Varttina」などのように受け入れやすい形とする必要があるようです。

あのビブラートの効いたハイトーンが「ロックの文法」上で不自然な気がしたのは、島歌に立脚する彼女が捨てることのできなかった「彼女自身」だったからなのではないでしょうか?

メロディーや、歌詞は「ロックの文法」で記述することができても彼女の音楽の本来持つ感動の源泉である「故郷・美ら・思い(故郷への美しい想い)」までは翻訳できなかったのではないかと思いました。

元ちとせさんの歌が好きな方には、是非「故郷・美ら・思い」のCDも聞いていただきたいと思います。 きっと新たな発見があることと思います。

1)「ハイヌミカゼ」元ちとせ、ソニー・ミュージックエンタテインメント(ESCL2320) 、3,059円 http://www.office-augusta.com/hajime/

2)「故郷・美ら・思い(シマ・キヨら・ウムい)」元ちとせ、セントラル楽器(C-17)、3150円 (1996年初版(C-5)のあと2001年(C-17)として再発したようです。現在、大手レコード店、もしくは通販 http://www.simauta.net/ でも発売されています)

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