1998年はNewerの当たり年
Newerにとって1998年は大繁盛で、新製品がたくさんリリースされた年となった。デスクトップではいわゆるPCI系のG3アップグレードカードに加えて、PM6100/7100/8100用G3アップグレードカード、パワーブック用では2400用G3アップグレードカード、1400用G3アップグレードカードがリリースされた。
新製品のリリースというのは、既存の製品の製造の他に、追加で製品を作るということを意味する。そして追加で製品を作るということは、製造にかかるお金が追加で必要になることを意味する。アップグレードカードというのは製品が小さい割にCPUやバックサイドキャッシュなど高価な部品を使用するため、製造コストが高く、大量に製造するには大量のお金(1億円単位)が必要になるのだ。
ベンチャーキャピタルから資金調達を模索するも
Newerは町工場的な大きさだったので、経営はどちらかというと自転車操業。なので、新製品の度にどこからかお金を調達してこないといけない状況だった。
ちなみにNewerでは銀行からお金を借りる以外に常に投資をしてくれる人を探していた。投資者は俗に言うハイテクのベンチャーキャピタリストというやつである。社長は新製品のプロトタイプと右肩上がりの収支表を持って、毎週のようにカンザスとカリフォルニアを往復して、ベンチャーキャピタリストと交渉を繰り返していたようだ。そのころ、ハイテクバブルという時期でもあり、Newerの実績を持ってすればすぐに資金が入ってくるという楽観的なムードがあったのだが、条件が折り合わなかったのか、それとも会社や製品に問題があったのか、Newerに大量の投資資金が入ってくることは無かった。歴史に”たられば”は禁物ではあるが、もしこの頃にしっかりとした投資者が見つかっていたら、Newerは今でも世界一のアップグレードカードメーカーとして君臨していたのではないかと思う。
新製品の生産のためにキャッシュフローが厳しくなる
さて、通常アップグレードカードを製造するのにはCPUやキャッシュパーツを主に様々なパーツを1000個単位で一度に取りそろえる必要があった。パーツの1つでも揃わなければ製造が開始できないのだ。しかしパーツの納期は様々で、簡単に買えるパーツもあれば、常に先行して発注しておかないと買えないパーツもあった。そのため、全てのパーツが揃うまでに1カ月以上かかることも珍しくなかった。そしてやっと揃ったパーツで製品の製造を行っても、輸送やテストに時間がかかり実際に販売できるまで数週間かかることがあった。そして販売した後にお客様から代金を頂戴するまでに1カ月前後の期間が必要になる。つまり、Newerが独自にパーツを購入してから実際にお金を手にするには早くても3カ月、遅ければ半年近く待たなくてはいけないのだ。そのころのG3チップは1つ数万円しており、仮に1品種全てのパーツを5万円で揃えたとしても1000個の製品をつくるのに5千万円のコストになるのだ。新製品が増える度にこの金額が2倍、3倍と増えていくのである。
そのため、新製品がリリースされればされるほど、Newerのキャッシュフローでは逆に限られた品種や数量しか製造できなくなってしまった。そのため、その当時一番人気のあったPM6100/7100/8100用アップグレードカードのバックオーダーが日々どんどん膨れあがることとなった。潤沢な資金があれば、どんどん製品を製造してどんどん販売できるはずなのに...社員全員で悔しい思いをしていた。
現金払いのお客様優先という苦肉の策
そこでNewerはこの資金繰りを解決するために苦肉の策として、現金購入のお客様を優先する販売形態を打ち出したのである。それまではどのような支払い方法であろうとも、注文を最初に入れたお客様が最初に製品を手にすることが出来たものが、現金を持っているお客様が優先されることで、現金の無いお客様は延々と待たされはめになったのだ。この販売方法に対して多くのお客様から非難を浴びたのは言うまでもない。
しかし、その中でその販売形態を喜ぶ会社があった。それはその当時Newerの日本の代理店の1つであった日本を代表する大手商社丸紅である。この丸紅は大手商社という形態から、Newerに注文を入れるのが慎重かつ遅めであった。並行輸入業者は製品が売れそうだと判断すると翌日には大量の注文を入れることが出来るのだが、丸紅の場合、販売店とミーティングをし、需要を予想し、利益の計算やら、リスクの計算やらを行い、予算と比較して...という長いステップを踏むので、注文に数週間かかることはざらだった。
一方でこの丸紅とすれば世界中のどこよりも早く製品を欲しいと思っていた。なぜかというと米国で先に製品が発売されると、日本にすぐに並行輸入品が流入し、代理店のものに比べて数割安い価格で秋葉原の店頭に並んでしまうからだ。だから丸紅とすれば並行輸入品が日本に来る前に、正規代理店製品を売りさばきたいという思惑があった。並行輸入品がなければ、どんな高い定価を設定してもユーザーはM社からNewer 製品を買わないわけにはいかないからだ。
営業部門内で製品の奪い合いで殺伐として雰囲気に
で、丸紅は現金にものを言わせてNewerからの新製品を世界で一番最初にかつ大量に購入していったのは言うまでもない。これをくやしがった(というか偉い剣幕で怒っていた)のは、並行輸入業者とNewerの米国販売担当者であった。
米国の販売担当というのは給料が安いのだがそれを補う手段として歩合制度がある。つまり自分の担当のお客様が購入する製品の数量や金額に応じて歩合をもらえるようになっているのだ。しかし、日本の代理店丸紅が新製品を根こそぎ持っていったために米国内の販売担当者の販売する製品が無くなり、結果歩合がもらえなくなってしまったのだ。彼らに取っては死活問題であった。セールス部門全体が偉く嫌悪な雰囲気となった。
そのため、その後Newerの販売担当者同士が完成した製品数量の取り合いを始めるようになってしまった。それまでの和気あいあいとしていた雰囲気が一変殺伐としたものになってしまったのを、猪川は悲しく思った。
不公平是正でキャッシュフロー悪化
結局、この不公平な販売方法を解消するために、担当地域によって製品の販売数量を決めるという前代未聞の割り当て制度が施行されるようになった。これにより販売部門内部での製品の取り合いは解消されたものの、Newerが資金繰りをよくするために現金のお客様を優先するという販売ポリシーと矛盾するようになった。つまり日本で大変人気があってバックオーダーを抱えているが、国内であまり人気がなたいめ在庫がある製品を日本向けに販売できなくなったのだ。1日でもすぐに製品を売り尽くし現金化すべきであるものを、逆に社内在庫を抱えるような仕組みを作ってしまったのである。これではNewerの資金繰りが改善されなくても仕方がなかった。
Newerはバックオーダーを大量に抱え、製品を作ればどんどん売れていく状況に、自社の製品に自信を持ち過ぎていた。このころからNewerは顧客の満足度よりも、どうやって販売するか、どうやって利益を出すか、ということを優先に考えるようになっていったように思う。また販売部門の雰囲気が殺伐としてしまったこともNewerが衰退する遠い原因になっていったのではないかと思う。 1998年の終わり頃の話しである。
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