昔のPowerBookは大きくて重かった
1990年代後半のPowerBookは厚く重いものばかりでした。
- PowerBook 3400:293 mm x 239.5 mm x 65.6 mm 3.2kg
- PowerBook 1400:292 mm x 229 mm x 51.0 mm 3.0kg
- PowerBook 5300:293 mm x 217 mm x 51.4 mm 2.8kg
ちなみに、A4サイズが297x210mmですからほぼ同じぐらいのサイズで、重さは現在のMacBook Pro 15インチモデルよりも1kg以上重いことになります。
日本人が待ち望んだPowerBook 2400c
通勤にクルマを使うの米国人はPowerBookのサイズや重さをあまり気にしませんが、通勤に電車を使う日本人にとって小さく持ち運びやすいPowerBookが渇望されていました。
そんな1997年、PowerBook 2400が誕生します。日本のMacユーザーは熱狂的にこのモデルを歓迎し大ヒットとなりました。
ちなみにサイズと重さは...
- PowerBook 2400c:266 mm x 213 mm x 47mm 1.98kg
ほぼB5サイズとなりました。重さに関しては、現状のMacBook Pro 15インチほどの軽さになったわけです。
PowerBook 2400cの開発は日本IBM
ご存知の方も多いかと思いますが、このPowerBook 2400cは日本IBMにて開発されました。なぜ日本IBMだったかと言うと、この当時アップルはMacのCPUであるPowerPCをIBMとモトローラと一緒になって開発していたという背景があります。
そして、その当時小型のノートブックはThinkpadが有名であり、その小型化のノウハウを持った日本IBMに白羽の矢がたったというわけです。
コンセプトはハイエンドのPB3400の小型化
アップルは日本IBMに対して、開発に際してリクエストしたことは、PowerBook 3400のパフォーマンスのまま小型化して欲しいということだけだったそうです。
しかし、ここは日本人。アップルに言われた通りに開発してしまったら芸がないので、アップルにわからないように3つばかり仕掛けを組み込んだそうです。
- CPUをドーターカード方式にすること
- PCカードスロットをカードバス対応にすること
- 最大メモリー搭載量を112MBにすること
なぜ、そうしたかをそれぞれ説明します。
CPUのドーターカード化
アップルが日本IBMにモデルとするように手渡したPowerBook 3400は、ご存知かもしれませんがCPUはマザーボードにはんだ付けされていました。日本IBMもそのままデザインしても良かったのですが、彼らは同じPowerPC連合として、PowerPCがどのように開発されていくのかロードマップを知っていました。
開発当初、採用されるCPUはPowerPC 603eですが、近い詳細PowerPC G3が登場することを知っていたわけです。PowerPC G3の処理能力はPowerPC 603eのおよそ倍になるわけですから、そのCPUを搭載しない手はないと考えました。そのために、CPUをはんだ付けするのではなく、ドーターカード化しておけば、ドーターカードを交換するだけでPowerBook 2400cはどんどん進化していくことが出来ると考えたのです。
PCカードスロットのカードバス化
PowerBook 2400cにはデザイン元の3400同様にPCカードスロットがあります。PCカードには3つの規格があり、一番薄いType I、中間のType II、一番厚いType IIIがありますが、PowerBook 2400cはType IとType 2をそれぞれ1枚、合計2枚装着するか、Type IIIを1枚装着することが可能でした。
PowerBook 3400では16bit幅のPCカードの規格だったのですが、PowerBook 2400cは将来性を見据えて32bitでデータ転送が出来るカードバス化としました。
カードバス化ですが、これはアップルの要求した仕様と異なるため、デフォルトではカードバス対応になっていません。内部のある配線を切断するとカードバスになる仕様にしてありました。
メモリーの112MB化
PowerBook 2400cのマザーボード上のメモリーサイズはPowerBook 3400と同様の16MBです。メモリーの増設スロットが1つだけありました。
PowerBook 3400は128MBメモリーモジュールが認識されていたので、同様にしようとしたらしいのですが、物理的サイズの限界で64MBのメモリーモジュールしか搭載できませんでした。しかし、内部上は128MBまで対応していましたので、後に64MB+32MBの96MBメモリーモジュールが世に出ることになりました。
この96MBメモリーモジュールとマザーボード上の16MBを足して最大で112MBにすることが出来たのでした。
PowerBook 2400cは日本で大人気も米国で売れず
さて、PowerBook 2400cは日本で大人気となり約5万台が販売されました。しかし米国での販売台数は5000台程度にとどまり、決して成功とは言えませんでした。
日本では初代PowerBook 2400c/180(Comet)の後継モデルとして2400c/240(Mighty Cat)が販売されましたが、米国では販売されませんでした。
たぶんこれは、日本IBMとアップルジャパンの判断で、人気のあった2400cをさらに販売しようと、ドーターカードのCPUを603e/240MHzに載せ替えて、米国のアップルを通さずに日本だけで販売したのではないかと想像します。
そのためPowerBook 2400は米国での販売不振という理由で、アップルはこのモデルの販売を終了させてしまいます。発売開始が1997年夏であるにもかかわらず、1997年内で製造は打ち切りとなりました。追加生産はしないというのがアップルの方針ということだったそうです。
これには日本IBMの開発者はがっかりしたそうです。せっかく将来性を見据えてPowerPC G3を搭載できるように設計したにもかかわらず、それが全く活かせず終わってしまう。
しかしアップルが販売しないと決めた限りは日本IBMではどうすることもできません。
失意のなか秋葉原へ
このままこの開発プロジェクトを終わらせてしまうのはあまりにも惜しい。何か良いアイデアはないだろうか。そのヒントを求めて、日本IBMのプロダクトマネジャーは秋葉原のMac専門ショップを訪れたそうです。
ショップにはたくさんの2400cが積まれており、よく売れていると店長さんから聞かされたそうです。そして、2400cはG3カードが載せられる設計になっていると話をすると、それ絶対に売れるから販売して欲しいと懇願されたそうです。
しかし日本IBMではアップルとの契約でG3カードを勝手に販売することが出来ない旨を伝えると、
「だったら、Newer TechnologyというCPUカードのメーカーがアメリカにあるから一度話をしてみたら?すでに、PowerBook 2400cのG3カードの開発中だという話だよ。」
そうか!日本IBMで販売することは出来ないけれど、アメリカの会社が開発したものを日本IBMで製造することは出来る。
それは1997年の年末のこと。1998年1月にMac World サンフランシスコが開催され、Newer Technologyがブースを出すという。だったらそこに直接乗り込んでG3カードについて話をしてみよう、とすぐに航空券を手配したとのことでした。
そして、実際に1998年Mac World サンフランシスコのNewerのブースに、日本IBMのある一人のエンジニアが訪ねてきたのでした。
その2に続く...