前回、桜の歌について書きました。
桜は散るイメージが強くて、歌にすると物悲しいものになってしまいます。
でも桜の咲く春は、本来色鮮やかで物悲しさなんて微塵も感じられません。
桜のピンク、菜の花の黄色、チューリップの赤、新緑の緑、空の青、雲の白、と眼に入るものがすべて色鮮やかです。
角田光代の短編小説「名前」
この春の描写が秀逸なのが、角田光代の短編小説「名前」だと思っています。
角田光代は日常のささいなことに幸せをみつけだす天才だと思うのですが、この「名前」はその最高傑作だと思います。
主人公の春子。名前が平凡過ぎて小さい頃から自分の名前が嫌いで、自分の生まれてくる子供には素敵な名前をつけてあげようと思慮を重ねます。
陣痛が起こり、病院に向かうタクシーの車窓から外を眺めていると強烈な「春」を感じ始めます。
春だ。と、今更気づいたかのように思った。
薄桃色の桜が頭上を覆い、その向こうに澄んだ青空があり、目線を落とせば道端には黄色い菜の花が風に揺れていた。
家々の庭からはレンギョウが、パンジーが、名も知らぬ色とりどりの花が私を見送るように顔をのぞかせている。
春だった。視界の隅々まで春だった。
すべてがいきいきと発色し、動き出し、はじけ、混ざり合い、車窓の映す何もかも、ゴミを漁るカラスも、二階の窓に翻る洗濯物さえも、今この時正しい色合いで正しい場所に配置されていると思った。
なんて美しいんだろう。
母が自分に「春子」という名前をつけたのは、この「春」を感じてくれる子供になってほしいと託した名前だったのだろうと察します。
春子。そうか、春子。
母が私を生むために急いだ道もこんな風にまるごと春だったのだろう。
(中略)
願わくばその子供が目を見開いてこの世界を見てくれるようにと思ったのだろう。
そしてこれから生まれてくる子供について、あれこれ良い名前を考えていたけれど、そんな名前なんて本当はどうでもいいのだということに気づきます。
あなたにふさわし名前を今考えているから。
あなたにしか似合わない名前をまだ考えているから。
川みたいな、春みたいな、光みたいな、太陽みたいな、人を助けるような、頼られるような、健康であるような、人に好かれるような。
いや、そんな意味など何一つなくたっていい。
あなたがあなたであると誰かが認識してくれる名前であるならば。
泣けます。
NHKラジオ朗読の「名前」の音声データがありましたので以下にリンクしておきます。よろしければ聴いてみてください。
この「名前」が載っているのが「Presents」という文庫です。全部で12編の短編が掲載されていますがどれも素敵です。