日本のアップグレードカード会社との提携を模索
1997年当時日本のアップグレードカードメーカー市場はインターウエア社の独壇場であった。Newerのアップグレードカードが日本に進出する際の最大の障害であった。インターウエア社とすればその当時Newerなど相手とも思っていなかったと思うのだが。
私がインターウエア社の方に最初にお会いしたのはNewerに入社してからわずか4カ月目のことであった。1997年の夏、マックワールドの開かれたボストンでのことである。
G3チップのパフォーマンスに驚愕
このマックワールドにおいてNewerはマック業界で初めてG3チップを使用したアップグレードカードを発表したのである。ちなみにその会場でG3の製品を発表していたメーカーは、モトローラ、ユーマックス、パワーコンピューティングという大手互換機メーカーだけであり、Newerのような弱小アップグレードメーカーがG3カードを出品出来たのは、Newerの技術力をそれら大手と同等であるということを端的に示していた。ちなみにこの時、アップルはまだG3マシンの発表さえしていなかった。
今では当たり前のG3カードであるが、私がNewerで試作品のパフォーマンスを見たときの驚きは今でも良く覚えている。それまでの604ベースのアップグレードカードは180MHzを200MHzにするとか、200MHzを240MHzにするという10〜20%のアップグレードをすることが精一杯であった。ところが、G3チップを使用すると、パフォーマンスが2倍、3倍に跳ね上がったのであった。
まず、使用してわかるのは最初の起動時間が半分近くに短縮されることである。604ベースのマックでは起動時にアイコンがちょろちょろと出ていたのだが、G3カードを入れるとさささささとすぐに揃ってしまうのである。それからフォトショップのフィルタリングなどでは、604ベースでは砂時計が出て待たされるような処理も、G3ではあまりに高速なため、全く砂時計が出ずに処理が終わることがあった。いつ処理が始まるのかなと思って待っているとすでに処理が終わっていたということがしばしばあった。とにかくマックを使用していてその速さがどの場面でも実感できたのである。
そして出品したG3カードはこのマックワールドでベストオブショーを受賞した。ちなみにこのマックワールドの後すぐに製品の販売が開始された。当初G3の250MHのアップグレードカードの値段は10万円を超えていた。それでも、製造するそばから飛ぶように売れていったのである。
マックワールドボストンで、インターウエア社と接触
そのマックワールドに日本のイ社が出展したのである。出展は出来合のブースわずか1スペースのものであったが、社長を含む重役陣、マネージャー級のスタッフが10名近く訪れていた。そのそうそうたるメンバーからも、米国への進出を睨んだものであることは明かであった。
NewerがこのマックワールドでG3を出品したのとは対照的に、インターウエア社は604のCPUを2つ搭載したMPカードを出品していた。正直なところインターウエア社のMPを見てNewerのスタッフは苦笑いをしていた。実はNewerでもその当時MPカードを販売していたのであるが、これがうまく動作しなかったのである。CPUの制御が難しかったことと、システムバスが狭かったことと、キャッシュがうまくアクセスできないことなど、いろいろな技術的に解決出来ていない問題が山積みだったのだ。とくにこのMPカードのユーザーはフォトショップやCGのレンダリングの処理時間を少しでも短くしたいと考えていたプロがばかりであり、動作が不安定では仕事にならず、クレームの連続であったのだ。さすがにNewerの技術をもってしても対応には限界があり、この製品を見限っていたのである。そのためNewerのアップグレードカードの開発は604のMP化よりもG3への移行を最優先事項に挙げて行われていたのである。
しかしインターウエア社はそんな問題のある製品を新製品としてリリースしたのであるから、Newerのスタッフは苦笑いせずにはいられなかった。後で知ったことであるが、インターウエア社はこのMPカードを米国デイスター社から購入していたのであった。
一方、私はNewerの日本の担当として、Newerの製品を日本でどのように売り込んでいくべきかを模索していたのであった。日本でNewer製品を販売していくのに一番の障害はインターウエア社なのであった。この当時日本のアップグレードカードのシェアはインターウエア社製がダントツで、次にNewerがなんとか健闘しているような状態であった。ちなみに今では大きくなった米国のソネット社や、パワーロジック社もこの頃日本ではほとんど名前が知られていない状況であった。で、あるからNewerの最重要課題はインターウエア社からどうシェアを奪うかということであったのだ。
インターウエア社はその当時PowerBook用のアップグレードカードを生産していなかったが、NewerはPowerBook500用、1400用のカード(CPUは603ベース)を生産していた。改造好きな日本のPowerBookユーザーにはNewerの熱烈なファンがたくさんいたのである。限られた層ではあるが、日本でもNewerは技術的に認められつつあったのだ。この技術力をうまくアピールできればインターウエア社に勝てるはずだと手応えを感じていた。
そんな時、ボストンのマックワールドでひょんなオファーが飛び込んで来たのである。米国在住で、マック製品の並行輸入ブローカーであるミネヨシ氏がインターウエア社の社長に会わせてあげようと誘ってくれたのである。私はインターウエア社の社長に会ったら、Newerとインターウエア社間で提携か技術協力は出来ないか提案をしようと考えていた。米国のアップグレードカードのシェアナンバー1のNewerと日本のアップグレードカードのシェアナンバー1であるインターウエア社が手を組めば、Newerはインターウエア社を通して日本で製品を販売出来、インターウエア社はNewerを通して米国で製品を販売することが出来るようになる。お互いの会社が相手市場では目の上のたんこぶなのだから、それならいっそ協力したほうが得ではないかと考えた訳である。
そして、マックワールド2日目の朝一番、私はNewerの日本担当としてインターウエア社の社長と話す機会を与えられ、提携や技術協力の申し入れをしたのである。私の具体的な提案としては、まずこの時PowerBook関連のアップグレードカードを持っていないインターウエア社に対しNewerのPowerBookアップグレード製品を購入してもらい、インターウエア社ブランドで販売してはどうか、というものであった。手前味噌ではあるが、私の提案は今考えても悪いものでは無かったように思う。日本に対して流通を通さずに細々と販売していたNewer製品をインターウエア社が扱ってくれれば大量に販売することが出来、インターウエア社は開発費を全くかけずに売れ筋の新製品が手に入ることが出来るのである。
インターウエア社の社長にあしらわれる
しかし、インターウエア社の社長はこちらの提案を半分も聞くか聞かないかのうちに、”うちは別に協力なんて必要ないから。うちが欲しいのはCPUぐらいかな。”と、冷たくあしらったのである。インターウエア社がNewerの製品を販売するとしたら補填はどうするのか、売れ残ったらだれが面倒をみるのか、日本の商習慣にあわせないと販売はできない、日本での商売はそんなに甘くないよ、といような否定的な返事をたたみかけてきたのである。
今考えると、インターウエア社の社長とすれば、Newerの平社員と真剣にビジネスの話なんか出来ないと思ったのだろう。しかし、私もこの頃はまだ若く多少血の気もあった。否定的な返事ばかりに”むっ”として、不覚にもインターウエア社の社長と言い争いになってしまったのだ。ブローカーミネヨシ氏が中に入って止めてくれたものの、こんな分からず屋の社長と話し合いなんか続けれられないと退席してしまったのである。恥ずかしい限りである。
結局、その日私はNewerの社長にその提案の旨を説明し、是非ともインターウエア社の社長に技術提携すべきだと訴えたのである。その翌日、Newerの社長と生産部門の副社長がインターウエア社のブースを訪れ、社長を含む全てのスタッフの方々に直々に挨拶をし、インターウエア社の社長と話しあいを持ったのである。しかし、残念ながらこのときの話し合いも前日同様まとまることは無かった。
そしてその後、インターウエア社はPowerBookのアップグレードカードの開発を独自に行い販売にこぎ着けるのである。また、インターウエア社は米国カリフォルニアにVimageという米国法人を作り独自に米国進出を果たすのである。Newerは日本を代表する商社丸紅との代理店契約を結び、日本での販売を行っていくことになるのである。
Newerが次にインターウエア社とコンタクトするのはその翌年の東京で開かれたマックワールドでのことになる。