新しいMacを購入して長期間幸せを維持するコツで書いた通り、新しいMacを使い始めたばかりだと幸福感があり、だんだんとその感情が薄まって行くという話をした。
よって、その感情が薄まって行く頃になると新しいMacのことが気になってくる。だから、多くの人は自分を幸福に導いてくれる新しいMacに常に興味を持つ。
iPadユーザーも同様で、本日の新iPadの発表などは世界的に大きな注目を集める。
で、その感情を引き延ばすことは出来るのだが、やはり遅かれ早かれ薄まってくる。
よって、Macユーザーは新しいMacではないと幸せになれないのかというと、実はそうでもない。
実は幸せをもたらす感覚には2つのタイプがある。
1.(ここまで説明してきた)情熱的な感情
2.理性的な感情:理性的な感情というのは、つまり「愛着」である。
私達がMacを持つ目的は「Macを持つ」ということではなく、「Macを使って何かをする」ということだ。メールをする、ネットをブラウジングする、つぶやく、Facebookをする、ブログを作る、画像処理をする、動画編集をする等々、Macを使ってそれらの活動をすることが本来の目的である。
新しいMacを持っていることが幸せ!という感情が薄まって来ると、その活動をするための相棒としてMacを道具として見ることが出来るようになる。例えば、キーボードの打った感覚とか、OSXのインターフェースとか、アプリの動作とかだ。
このフェーズでは使っていて、気持ち良いかどうかというのがキーポイントになる。気持ちが良ければ、使えば使うほど愛着が湧いてくる。手放せなくなる。そしてさらに愛着が湧いて、そしてさらに手放せなくなる、という好循環を生む。
この理性的な「愛着」という感覚は購入当初は情熱的な感情に隠れてあまり目立たない。でもそれが薄まって来る時に自然と意識出来るようになる。また情熱的な感情は薄まるのに対して、「愛着」はどんどんと深まっていく。情熱的な感情は一時のものだが、「愛着」はずっと続く。
だからユーザーはどちらかというとこのフェーズをエンジョイしたほうが賢いのだ。Macはシステム全体の出来が素晴らしいのだからなおさらだ。
自分は1993年にQuadra 700というMacを購入して使い始めた。Quadra 700とApple StyleWriterIIと東芝の外付けCDドライブで70万円ほどしたのだ。そのように高価だったこともあってQuadra 700を徹底的に使い続けた結果、Quadra 700に愛着がわいて手放せなくなった。新しいMacを購入する場合でも、買い替えではなく、買い増していった。サブとして長年使い続けた。
ところが、最近Appleは次々に新しいMacを投入してくることと、安価になったことで、自分はついつい新しいMacに目が向きがちで、1台のMacに愛着を感じる前に乗り換えてしまうことが多くなった。全くモッタイナイことだと思う。
安価で高速なMacが次々と出て来ることがユーザーに幸せをもたらすようでいて、実は長期的には逆に幸せを奪う結果になってしまう。よってこの現象を「新型MacとMacユーザー幸福のパラドックス」と命名したい。
次に、人の持っている感覚の3つの特徴”の2つ目「小さい変化には敏感だが、大きな変化には鈍感」について説明をしたい。
コメント