《本音と建前》気持ちを察してくれる文化、察してくれない文化

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遠慮は無用

米国に留学した当初、自分は大学の寮で生活を始めました。寮にはソファとテレビのある10畳の広さほどのラウンジがあり、授業が終わった暇な寮生が集まる場所になっていました。

食欲旺盛な二十歳前後の学生ばかりなので、夜の集まりとなると誰と言わずスナック菓子を持ってきたりします。

ある時、自分のあまり親しくない寮生が大きな袋のスナック菓子を持って入ってきました。自分にスナック菓子を差し出して「食べる?」と聞いてきたので、本当は欲しかったのですが少々遠慮がちに「いや結構です」と答えると、「あ、そう」と言って2度とスナック菓子をススメてくれませんでした。

集まってきた寮生が、皆彼のスナック菓子を食べているのに、自分は断ってしまったばっかりに、ただただ指をくわえて見ているだけとなりました(泣)。
 

相手を察する文化

日本であれば相手が「結構です」と断れば、「本当にいいの?少しでも食べたら?」みたいな再度ススメてくれることが一般的です。

これは相手が遠慮しているかもしれないという気持ちを察している行為なわけです。「気が利く」とか「思いやる」ということです。

でも米国にはそんな文化がないことを、その失敗を通して自分は明確に知りました。
 

日本人と米国人の違い

日本人は相手からものをススメられた時は何を考えるかと言うと、

相手は本当をススメたくないけれど、しぶしぶ自分にススメたのではないか?だから断るほうが相手のためになるのではないか?

ススメたほうは相手に対して何を考えるかと言うと、

相手は本当は欲しいのに、こちらを気遣って断っているのではないか?だから再度ススメてみるべきではないか?

よくよく考えれば、この思考はかなり屈折しています(苦笑)。

米国人の思考はシンプルです。あげたくもないものを相手にススメたりしないので、相手がススメた時は素直に受ければいいし、相手がいらないといえば本当にいらないので遠慮しているなんて思う必要はないということです。
 

集団行動の中の個人

でもなぜ日本人はこんな面倒くさい表現方法をとるのでしょうか。これは日本では自分の心を素直に言い表すことは失礼にあたるというような考えがあるからです。たぶん集団での行動に重きを置く日本では、他人に迷惑をかけないことが第一優先であるために、個を消して集団に合わせることをよしとしているからなのでしょう。

だから自分の思いを表現してはいけないわけです。ただ、そのかわりに、周りの人がその思いを察してあげることでバランスをとるようなことが行われます。
 

本音と建前が不可解

海外にいる人から、日本人は言っていることと思っていることが異なる、つまり本音と建前があって何を考えているのかわからないと言われることがあります。

これは本心を言わずに相手に察してもらう日本特有の文化なので、その察し方を知らない人からするとたしかに不可解な心の表現方法です。

この表現方法で相手をすごく戸惑わせることがあります。

例えば、日本人は全く文句を言っていなかったのに急に怒り出す(これは前々から怒っていたが誰も察してくれないので怒りが我慢の限界に達してしまった)ことだとか、全く何も言わずにプレゼントを押し付けて立ち去る(前々から助けて上げたいと思っていたけれど誰も察してくれないので突然ベストな好意を示してしまった)とかです。

これ海外から見たら日本人は屈折している精神構造を持っていると言われてもしかたないなと思います。表現ベタというか、シャイというか、そういうところはグローバル的には損をしていると思います。

韓国人は感情的で日本人は論理的?

最近反韓だ反日だと、韓国と日本でやりあっている感があります。韓国人は感情的で日本人は論理的みたいな見立てがありますが、韓国人は素直に心を表現している(表現しすぎている?)のに対して、日本は内面で怒っているのに外見では怒ってないように装っているだけなのではないかと思ったりするわけです。

そんな日本人の心を察しない韓国人からすると日本人は怒っていないからどんどん反日していいぞと思っていたら、突然日本人が怒り出して韓国で収集がつかなくなってしまって現在にいたるのかなと思えたりもしています。日本人は怒りがちょっとづつ溜まっていることを周りが察してくれないと、どんどん怒りが溜まって突然爆発するわけです。傍から見ると急に怒り出したように見えるから怖いし、怒り出したら止まらないところはさらに怖いです。
 
 
 

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