【恋は雨上がりのように】余韻のある終わり方が素敵です

恋は雨上がりのように

映画「恋は雨上がりのように」

昨日Amazon Primeで「恋は雨上がりのように」を観ました。

自分が評論家ではないので作品の良し悪しについてここでは語りません。

また世間では「おっさんに恋する女子高生なんてありえない」と言うようなコメントがありますが、ストーリーに対してとやかくを言うつもりはありません。あくまで小説の話ですからそれは作者の自由で、そこに倫理感を挟む必要はないからです。それは以下に角田光代さんがおっしゃっている「小説は善悪を決めるようなものではないので、正義感を持ち込まれると困ってしまいます。」の通りだと思います。

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素敵なエンディング

ただ、自分的にはこの映画のエンディングは素敵だなと思いました。

「怪我で諦めた陸上競技に、再度復帰した主人公の女子高生」と「小説家を再び目指すファミレスの店長」。二人はそれぞれの道を歩み初めた後、偶然出会い、お互いの現状を報告しあって、映画はそこで終わります。その後については描かれていません。

陸上でベストタイムを出せるのか、小説はうまくいくのか、二人の関係はどうなるのかなど全く観ている側の想像に任されています。

故障明けでブランクのあった陸上選手がすぐにベスト記録を出したり、長い間小説を書けなくなっていた作家志望の人の作品がすぐ入賞したりする事は奇跡的です。その現実を描写してしまうと観ている側は悲しい気分になります。といってあえて成功するように描いてしまうと「世の中はそんなに甘くないよ」と観ている側はしらけてしまいます。

よって、その先のことはわからないけど、将来があることを信じて映画の余韻に浸りたいわけです。その点でこの映画のエンディング、「え?ここで終わっちゃうの〜」と思えるぐらいなのですが、逆にそれが丁度いい感じです。
 

ひどいエンディング「11人いる」

エンディングでこの余韻をぶち壊した作品と言えば「11人いる」が思い浮かびます(違法なんでしょうが「11人いる」がまるまるYoutubeにアップされています(苦笑)のでよろしければどうぞ)。

「11人いる」は名作です。自分がこの漫画に出会ったのは高校の時です。少女漫画(そんな見方は偏見なのですが)なんて全く興味がなかったのに、ぐいぐい話に引き込まれました。

この作品はSFでありながら、主人公の過去や乗り込んだ宇宙船の秘密の謎解きに加え、友情・恋愛・エゴ・憎悪・人種差別など様々な要素が盛り込まれています。これ今でもハリウッド映画で十分に通用するストーリーだと思うのは自分だけでしょうか。萩尾望都は天才です。

つかみから、宇宙船の乗組員は10人のはずが、なぜか「11人いる」という謎の事実から観る側を惹きつけます。そして「なぜ11人いるんだ」「誰が余計な一人なんだ」といきなり仲間割れとなり、お互いが疑心暗鬼にとらわれる展開。観ている側はハラハラ・ドキドキ。

最後はどんでん返し的にすべての謎が解け、ハッピーエンドになります。漫画ではその余韻に十分に浸れます。

ところがアニメのエンディングでは11人のそれぞれの将来が描かれています。ただそれがとってつけたような説明文1行ぐらいの将来で、これで観ている側に何を訴えようとしているのか全く意味不明でした。いい話だったのだから映画の余韻に浸らせてくれよと思うばかりでした。
 

「ショーシャンクの空に」のエンディングはGood

一方ですばらしかったのは「ショーシャンクの空に」です。言わずと知れた名作なので、ここでストーリーには触れるまでもないと思います。

モーガン・フリーマン演じる黒人レッドが主人公のアンディの元を訪れるシーン。上空から彼ら二人を遠景で写し、たたただ青い海と空が広がっていくというエンディングです。その後の彼らについては全く描かれませんが、このどこまでも続く海と空が彼らの素敵な将来を想像させてくれます。こういう余韻に浸れるエンディングは素敵だなと思います。
 
 

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