《手描き職人!》テレビのテロップを1日1000枚手書きし、有名TV番組のタイトル手描きした男・竹内志朗

手描き職人
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手描き職人とは

昨日、クイズダービーのテロップが手書きだったことに驚いたという話を書きました。

自分の調べたところでは、1992年頃を境にして手書き文字がなくなって、コンピュータのフォントに移行していった感じでした。

ただ逆に言えば、1992年頃まではテロップ等の文字を全て手書きしていたわけです。それはどのような作業だったのか知りたくてググってみました。

すると、手描き職人である”竹内志朗”氏の名前が一番に登場しました。ちなみに”手書き職人”ではなく”手描き職人”だそうです。

芝居・番組タイトル/タイトルデザイン|職人 竹内志朗公式ウェブサイト
芝居やテレビ番組のタイトルや字幕書きの仕事です。テレビのテロップ(字幕)は、今でこそコンピュータ制御されていますが、'90年代前半までは手書きが主流でした。竹内氏は、テレビ放送黎明期よりこの仕事を始め、大阪民放5局の開局にも携わり、一日1000枚(画面に一度に出る字幕が1枚)書いた時期もありました。

 

手描き職人とは

竹内志朗氏の著書「テレビと芝居の手書き文字」によると、テレビ番組ではあらゆる形態のフォントが要求されたということです。楷書・行書・草書・角ゴシック・丸ゴシック・明朝体はもとより、相撲文字・歌舞伎の勘定流・文楽の浄瑠璃文字を書く必要があったと言います。

勉強の仕方を誰も教えてくれるわけではないので、新聞の活字を切り抜いて、自分で同じ文字が書けるようになるまで練習をしたそうです。実際の仕事が出来るまでに2年かかったとのこと。

TV番組が開局した当初は全ての番組が生放送だったため、ニュース番組などで事件が発生すると20文字を60秒以内で早書きしないといけなかったそうです。そして大きな事件の場合1日に1000枚のフリップを書いたこともあったとか。

ただ、コンピュータの導入により、除々に仕事が減ってきたそうです。そのことを感じたのが1985年の日航機墜落事故で、解説にCGを用いたり、コンピュータで文字を表示するようになって来たといいます。その当時のコンピュータのフォントは単一だったのですが、その後フォント数も増えて表現力が充実してきて、1日1日と自分の仕事が急速に無くなっていくのを感じたそうです。

TVが開局してから30年。日夜寝食を忘れて打ち込んできた仕事が消えていくところを見届けるのは淋しかったとのこと。手書きでの最後の大きな仕事は1995年の阪神淡路大震災だったそうです。

Youtubeに竹内氏の作業風景の動画もありました。

 

有名なTV番組のタイトル

以下の有名なTV番組のタイトルは竹内志朗氏のデザインだったのですね。すごく見慣れた作品が多いです。こうやってみるとカーブの優しさとか、直線の強さ厳しさなどがよく表れているなと素人の目でみて感じます。
 

手描きタイトル

これらのタイトルをコンピュータの助けなしで手描きしていたというのは本当に凄いことだと思います。こういう方々によってTV業界が成り立っていたのですね。

 
 

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