あなたは市民の味方?それとも警察の味方?
以前にも書いたことがあるのですが、人は「社会のルールに従うべき」と感じて生活しているとされています。
そのため社会のルールに関して2つの思いを持っています。それは...
- 社会のルールに従うものを応援したい。
- 社会のルールに従わない者を罰したい。
ということです。
スピード違反の取締りに対する反応
これを象徴する例として、スピード違反の取締についての感じ方の違いがあります。
例1)高速道路で制限速度を遥かに超える猛スピードで走っていくクルマをパトカーがサイレンをならして追いかけていった。→この場合「あんな暴走車をとっとと捕まえてくれ」と警察を応援します。
例2)ドライバーがついついスピードを出してしまいやすいところを選んで、警察が隠れるようにネズミとりで速度違反のとりしまりをしている。→この場合「そんな卑怯なやり方で取締するのはおかしい」と、ネズミとりをしていることを知らせるために対向車にライトをパッシングして教えてあげる。
同じスピード違反をしていることに対して例1では警察を応援し、例2ではドライバーの味方をしているわけです。一見すると矛盾しているように見えますが、実は「社会のルールを守る」という点では一致しているのです。
例1の場合、社会のルールを守らない暴走車のドライバーに罰を受けて欲しいと考えて警察を応援しています。例2では罪のない市民をグレーな取り締まり方法で捕まえようとしている警察のやりかたが社会のルールに反しているためドライバーの味方をしています。
職務質問は社会ルールを守っているか?
さて、本題です。
Youtubeに職務質問拒否動画数が多く、かつ再生回数が多い理由は、警察官が正義をかざして違法に近いやりかたで職務質問していることが社会のルールに反しているため、職質拒否している人の味方になってあげたいと考えているのもしれないという仮説が思いつきました。
そんな難しい理由でなく単純に「やじうま的に面白半分に観ている」可能性は否定できません。自分も最初はそんな思いでしたが、動画を観ながらどちらが正しいか正しくないかを判断しようとしている自分がいることに気づきました。
「このやり方は警察がよくない」とか「この言い分は警察が正しい」というようなジャッジをして、心のなかで警察の味方をするか、拒否している側の味方をするか決めているように感じます。
果たしてこの仮説が正しいのかどうか、もうちょっと考察が必要です。