米国ドラマ「デクスター」と角田光代の殺意

デクスターを観る

血痕鑑識官なる職業

「デクスター」という米国のテレビドラマをアマゾンプライムビデオで観ました。

「デクスター」というのは主人公の名前。彼はマイアミ警察の「血痕鑑識官」です。

この「血痕鑑識官」なのですが、殺害現場の血痕から、どのような人物がどのような凶器を使って殺人を起こしたかを特定する職種のようです。

こういう鑑識官が存在しているのだなと関心した次第です。

デクスターの裏の顔

ただ、この「デクスター」には裏の顔があって、彼は法で裁かれないような悪人を殺す必殺仕置人なのです。

ただ、日本の必殺仕置人「中村主水」と違うのは、「デクスター」は殺人に喜びを感じているところ。

ドラマ中、ところどころ彼の幼少のころが描かれているのですが、彼は動物を殺す衝動を抑えることができずどんどんとエスカレートしていき人を殺したい衝動にかられるようになります。

ただ、警察官の養父がそのことに気づき彼の衝動を抑えようとしますが、最終的に難しいと考えたのか、世の中のためになるように悪人なら殺しても良いと許可します。

そして、彼は悪人を見つけては殺人を犯していくようになります。

殺人をしたいという衝動

これを観て、”殺人をしたいという衝動”というものがあることに驚きました。

殺人というのは「相手に究極の痛みを与えたい」とか「相手の存在を消したい」という感情で行われるものだと漠然と考えていました。

しかし、デクスターはただただ「人を殺したいから殺す」という感じなのです。それはちょうど「お腹が空いたからご飯を食べる」に近い感じです。

ドラマの中だけであれば良いのですが、現実にこういう感覚の人が世の中にいるっぽいところが恐ろしいです。

角田光代の小説に出てくる殺人の話

殺人と言えば、角田光代の「おやすみ、こわい夢を見ないように 」という短編集を思い出しました。殺意をテーマにした7つの短編で構成されています。

自分のお気に入りは「このバスはどこへ」。

自分の乗ったバスの後部座席から「あたしはこれから人を殺しに行くんです」という声を聞いた主人公の「くり子」。そのことが頭から離れず、自分には殺したい相手がいるだろうかと考えるようになります。

そして、自分を常にいじめていた小学校の女性の担任のことをふと思い出します。

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やっとのことで担任を探し出す

その先生は今では老人になっているはずだがどうしているのか気になり、いろいろな手段を駆使してなんとか彼女の居場所をつきとめます。

彼女は入院していたので、お見舞いと称して彼女を訪問します。彼女はすでに80歳を超え痴呆がはじまっていたのですが、「くり子」は彼女に対してこんなことを言います。

「お気の毒に、あなたは捨てられたんだね。息子も娘もいるんでしょう?きっと孫もいるよね。でもだれも、あなたと一緒にいたくないんだね、嫌われているんだね。

そりゃあそうだよね、あなたはちょっと異常なところもあるもの、うまく隠して人気があったみたいだけど、今はだれもあなたのことなんか思い出さない。

こんなところで死ぬのを待っているなんてね。ねえ、そんな人生になるって、二十年前は思いもしなかったでしょうね。ここで誰かが迎えに来てくれるのを待つために、生きてきたわけじゃないのにね」

「早く死ねばいいって、みんな思ってる」

しかし先生はくり子を別の人と勘違いしているらしくとんちんかんな返答をするのです。

くり子は病院から帰る途中、先生が自分のことを覚えていないことに腹をたている自分に気づきます。憎い先生を殺したいという考えとは裏腹に、先生とまだ関わりを持ちたいと望んでいる自分がいることに困惑しつつ、この話は終わります。

理不尽な先生に殺意を抱くというのは誰しも1度や2度はあるでしょう。でもそれを瞬間的なもので、ずっと抱いているわけではありません。ただ、ふいにその殺意が現れて実行に移そうとする感情というのはありそうで怖いところです。

デクスターにしても、くり子にしても、殺意というのはいろいろな形があるのだと思った次第です。
  

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