映画には原作が必要?
スタジオ・ジブリの鈴木敏夫氏が、風の谷のナウシカの映画作るために徳間の上層部に企画を出したところ「原作がないのでダメ」と言われ、だったら原作を作ってしまおうということで宮崎駿が風の谷のナウシカのマンガを書き始めたというのは有名な話です。
ではなぜ、原作がないと映画の企画が通らないのでしょうか?それは多額な投資をするのに、どの程度のリターンがあるかが把握出来ないからです。
ある原作になるマンガの発行部数が1000万部あれば、その1000万部に特定の定数をかけたもの(映画会社が統計データとしてもっているはず)が観客として見込めます。
ところが原作がないと、観客がどれだけ入るのか全く読めないわけです。全く予想出来ないものに多額の投資が出来ない。よって、原作がない映画の企画は通らないということになります。
日本版”最高の人生の見つけ方”の原作は映画
今回、映画”最高の人生の見つけ方”が日本でリメイクされた話を以前書きました。
この映画の原作は”米国の映画”ということになります。
これは企画を通し安かったのではないかと想像できます。すでに米国で映画としての観客動員数がわかっているわけですから、日本での動員数も推測しやすいためです。
ただ、このリメイクは企画を通すだけのものではなく、きっと観客側にも強いアピールになっています。というのも、米国のオリジナルが面白かったと感じた層は、日本版もたぶん面白いだろうと期待することが出来るからです。
デフレ化の消費者マインド
最近は消費者の財布の紐が固く、口コミで誰かが良いというもの以外売れなくなったと言われています。自分がお金を出して買ったものがはずれてしまったら損をしてしまうわけなので、それを避けたいというのが消費者心理です。
映画も同様で「この映画は感動した!」「絶対に泣ける!」みたいな口コミがなければ、わざわざ時間をかけ、2000円近い代金を払って観るに気になれません。
ところがリメイク版は、オリジナル版自体が口コミみたいなものです。
あのオリジナル版のリメイクならどんなに悪くても及第点、もしかするとオリジナルに以上の良さがあるかもしれないと期待が持てます。
ストーリーはほぼわかっているのでサプライズは期待出来ないけれど、最低限の面白さは期待できるというセーフティーネット的な安心感があるわけです。
ホームランにはならないかもしれないけれど、ヒットかツーベースぐらいにはなるだろうという感じです。
それではじめて消費者は映画を観にこうと思うはずです。と言いながら、自分はまだ観に行っていないのですが(苦笑)。